■ジョン・レノンの思い出

宮本 正信

 私がジョン・レノンを意識したのは、1964年の8月に観た映画「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! 」からだったと思う。その年の2月初旬に偶然、ビートルズを知ってから半年間は、4人全員のファンだった。ところがこの映画を観てからは、ビートルズの中でも特にジョンのようになりたいと思い始めた。そして、高校に入るとすぐにコピー・バンドを結成し、ジョンをめざした。武道館でも双眼鏡でジョンを追っかけていた。ただ単にジョンに憧れるというだけでなく、ジョンと同じ様な考えを持ち、ジョンと同じ様な行動をとりたいと思っていた。私にとってはジョン自体が人生の指針になっていった。そしてジョンが小野洋子さんと結婚し、平和運動を始めると私も渋谷に反戦デモに行ったりもした。大学に入ってからは主にフォークをやっていたので、高校時代ほどではなかったけど、それでもビートルズは聴き続けていた。ジョンが日本に来るようになってからは、毎年軽井沢に出掛けた。残念ながらジョンに会うことは出来なかったけど‥‥。
 そして1980年の12月9日。あの日、臨時ニュースでジョンが射殺されたことを知り、愕然とした。この時の気持ちは今でも言葉で表現出来ない。冗談ではなく、これで自分の人生も40歳で終るのかと一瞬思ってしまった。その日、高校時代のバンド仲間が私の自宅に集まり、ビートルズのレコードを聞きながら、ジョンを偲んだ。
 3年後の83年、当時勤めていた全音楽譜出版社の仕事で、東京・神田の書店で開かれた音楽書フェアに行った時、角川書店発行の『ジョン・レノン家族生活』という写真集が目に止まった。中を開いて見ると今までに一度も見たこともないプライベート写真が満載されていて、びっくりした。「ジョンはこういう生活をしていたんだ」。早速、その本を購入した。また一歩、ジョンに近づくことが出来たという気持ちで嬉しかった。
 そして3年後の86年に全音楽譜出版社を退社し、今の家業を手伝うようになった。仕事の関係上、地元の人達との付き合いが始まり、青年会にも参加するようになった。お祭りで神輿を担いだり、縁日の手伝いをしたり。その仲間の一人に西丸さんという人がいた。お互い自分の趣味の話はしなかったが、ジーパン姿がカッコよく、何処かジョンに似ているなと思っていた。ある日、その西丸さんの幼な友達から「西丸君はジョン・レノンのアシスタントをやっていたんだよ」と教えてもらった。「えっ?」一瞬、体が固まってしまった。ここにいる西丸さんと『ジョン・レノン家族生活』の著者の西丸さんが、同じ人だとは! まさかジョンと行動を共にしていた人が目と鼻の先に住んでいるとは思いもよらなかった。 
 後日、「西丸さん、あなたの本にサインをして下さい」と言ってサインをもらいました。(このサインはその時に書いてもらったもの)西丸さんが「この本、君が自分で買ったんだったね。間違って贈って書いてしまってご免ね」(笑) 「構わないですよ」。その時以来、愛するジョンとつながる西丸さんとの付き合いが始まった。その後、『ジョン・レノン家族生活』は出版権を小学館が取得し、ジョンの没後10周年に当たる1990年の12月に再編集され、出版された。そしてその出版記念パーティーに招かれ、アトラクションで3曲程、ジョンの歌を歌った。3年前の12月31日には西丸さんがやっていたギャラリーでカウントダウンのライブをやり、二人でビートルズやジョンの曲を歌った。また、私のライブにも何度か来てくれた。西丸さんとばったり町で会うと、何故か近くにジョンがいるような気持ちになってしまう。
 先日、久しぶりに西丸さんに会いました。その時に昨年の11月にビートルズ関連のホームページを作ったこと、西丸さんから今まで聞かせてもらったジョンの思い出を、出来れば代わりにHPで伝えたい旨をお願いしたら、「そんなに気にしなくていいよ、但しジョンの名誉を傷付けるような事は書かないように…。」というお墨付をもらいました。もちろん、ジョンの名誉も、西丸さんの名誉も傷付けるような事は書きません。
 西丸さんありがとう、これからも「ジョンの思い出」を色々と教えて下さい。このHPで紹介していきます。

2001. 4. 19

P.S. 前述の小学館刊『ジョン・レノン家族生活』は現在、重版されていない為に本を購入することが出来ません。この写真集をお持ちでない皆さん! 
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