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※この文章は11年前の1991年1月に行った再結成ライブの時のチラシに掲載した文章です。
When I was younger, so much younger than today . .
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ビートルズが夢だった...
1966年6月29日、季節はずれの台風と共に、あのビートルズが日本にやっ
て来た! 全国で、いや世界中でビートルズ旋風が吹き荒れていた。最初で最後
の日本公演は、たった5回のステージ。熱狂的なビートルズ・マニアにとっては、
まさしく夢のような出来事だった。以来25年、ビートルズ・エイジと呼ばれ、
のちに団塊の世代と呼ばれるようになる若者の多くは既に40代、人生を振り返
りたくなる年齢に入ってきた。しかし、ここに当時の夢を今でもずっと持ち続け
る4人のビートルズ・マニアがいる。当時、東京の新興住宅地の練馬に育ち、区
立練馬中学校を卒業した彼等は高校時代にビートルズのコピー・バンドを組んだ。
本気でビートルズになることを夢見ていた。彼等は昨年の10月に実に23年ぶ
りにバンドを再結成し、見果てぬ夢をもう一度果たそうとしている‥‥。そのバ
ンドの名前はTHE REVOLVER。そんな彼等にビートルズとの出会いから現在に
至るまでの思い出を語ってもらった。
−まずはビートルズが好きになったきっかけから。
宮本正信;ビートルズ・シネ・クラブ(BCC)の会報にも寄稿した話だけど、中
学2年の2月頃、偶然見ていたテレビのニュースにビートルズのアメリカ初上陸
の様子が放映されて、そのバックに流れていたのが日本でのデビュー曲「抱きし
めたい」だった。本当に一発でノックアウトされちゃった。それで早速、レコー
ド屋にレコードを買いに行ったんだけど、ファースト・アルバムがまだ発売され
ていなかった位、ファンになったのが早かった。自分では日本のビートルズ・フ
ァン第1号だと思っている。
山田信行;僕は中学3年の夏に公開された映画「ビートルズがやって来るヤァ!
ヤァ!ヤァ!」だな。それからマサ(宮本)の影響もあると思う。
荒井たかね;僕と山形は最初はベンチャーズだった。高校1年の頃。その頃マサ
や山田達と交流があって、レコードや楽器を貸し借りしていた。マサがバンドの
ベースと喧嘩をしたとかで、急にベースをやらないかという話が回ってきて。
宮本;その話は一緒にバンドをやるきっかけだよ。
山形俊一;僕と荒井はマサとか山田のように明確に、この時からというのがない
んだよ。ビートルズはそこそこに聞いてはいたんだけど。そういう意味では映画
「ヘルプ!」からだと思う。この映画は荒井と二人で見に行った。
−バンドを結成するきっかけは?
宮本;中学3年の夏頃から、いわゆるエレキ・ブームが起こって、練馬中学校の
体育館でもベンチャーズの「ダイヤモンド・ヘッド」をでっかい音で流したりし
て。でも、既にビートルズに狂っていたので、中学卒業の春休みにアルバイトを
やって1万数千円のエレキ・ギターを買ったんだ。
山田;そのギターは1万2千円のグヤトーンだよ。僕の場合は私立に行くか、都
立に行くか迷ったけど、都立に行く代わりにテスコのギターを親に買ってもらっ
た。
山形;エレキ・ギターを買ったのは僕や荒井のほうが早かった。僕達は中学3年
だったよ。
荒井;レコードや歌詞カードやギターなんかを貸し合ってたんだけど、一回貸す
ともう戻ってこないんだ。ひどいよ、ギターが戻ってこないんだから。(笑)
宮本;中学を卒業して、みんな別々の高校に行ったんだけど、僕の場合は都立大
泉高校に行って、当然の如く軽音楽同好会に所属した。そしてベンチャーズのコ
ピー・バンドを組んだんだ。当時はベンチャーズ一色だったから。でも自分の趣
味としては、やはりビートルズがやりたくて、そこで中学のバスケット部出身の
仲間に声を掛けてビートルズのコピー・バンドをほぼ同時に組んだ。
山田;あの頃、僕達バンドの溜まり場はドラムをやっていた臼井の家だったけど、
既にみんな煙草を吸ってたよな。
宮本;実はどうして臼井をドラムにしたかっていうと、当時ドラム・セットはと
ても高かったのに、奴はいきなりドラムを買っちゃったんだ。で、リズム感ない
けど、仕方なく。(笑)
山田;マサは純粋にビートルズをやりたかったんだけど、僕とか臼井は動機が不
純で、目的が女にモテたいためだった。(笑)
宮本;でも、当時から音楽的には、かなり凝っていたよね。例えば「She
Loves
You」の最後の3声のハーモニーもレコード通りにコピーしていたし、「Twist
And Shout」のバック・コーラスも2声でハモっていた。あの当時からハーモニ
ーに力を入れていたんだ。
山田;確か高校2年の時、都立大山高校の文化祭に飛び入り出演したよね。実行
委員会の用意した教室に、もうこれ以上、人が入れないというくらい、満員にな
っちゃって。女の子は泣き出しちゃうしさ。とにかく凄かったね。でも後で校長
室に呼ばれて始末書を書かされたけど。(笑)
宮本;でも、あの頃の都立高校は寛大だったと思う。何せエレキ・ギターを持っ
ただけで不良と言われた時代だから。多少、先生からは白い目で見られたけど、
いわゆるエレキ・ギターを弾く奴、イコール不良みたいな見られ方はされなかっ
た。
山形;都立石神井高校の場合も同じような状況だったよ。
−当時の練習場所は?
山田;ドラムの臼井の家とか、俺んちの2階とか、友達の農家の納屋とか。15
ワットのグヤトーンとラジオを改造したアンプしか持ってなかった。マイクはス
タンドがないので天井から吊してた。
宮本;臼井が自分の家でドラム叩いてたら、うるさ過ぎてパトカーが来て連れて
行かれちゃった。(笑)
−発表の場はあったの?
荒井;さっきの大山高校の文化祭の他は、いくつかダンス・パーティーをやった。
代々木のグリーンとか、渋谷のサイセリヤとか。それから解散の原因になった横
浜のフラミンゴとか。
山田;あと、名前は忘れたけど王子の喫茶店や淀橋の卓球場とか。結構女にモテ
たよね。メンバーひとりひとりにファンがいたよ。
荒井;俺は全然女とは関係なかったよ。
山田;そんな事ないって。(笑)
宮本;あの頃、溜まり場みたいな場所があってさ。そこに行くといつも誰かしら
仲間がいるみたいな。新宿のジェイル・ハウスとか、江古田のドリームとか。一
日中座っていても追い出されないような喫茶店があった。
山田;あの頃、高校生以上の事やってたよね。
荒井;新宿のジェイル・ハウスは午前2時まで営業してたでしょ。僕達みんな未
成年で、店から出ると警察に補導されちゃうから、知らない者同士でも自然と一
箇所に集まって来るんだよ。深夜に20人位で花園神社でたむろしてたら、パト
カーに追いかけ回された。
山田;今でも覚えているのは、代々木のグリーンで荒井がベースのストラップを
切っちゃって。そうしたら踊っていた女の子が自分のブラジャーを外して、スト
ラップ代わりに貸してくれたんだ。その時、初めて女の子の乳房を見たっけ。
荒井;よく言うよ。(笑)
宮本;あと、バンド解散の原因となった横浜のフラミンゴの事も忘れられないね。
山田が連れてきた、素性の分からないマネージャーが現われて、いきなり横浜の
ナイト・クラブに連れて行かれてさ。それも出演時間が夜中の12時から3時ま
で。それも運の悪いことに高校3年の1学期の期末試験の前日。案の定、親にバ
レて親族会議になった。
山田;僕も親に友達の家で勉強して来るって嘘ついてバレた。いかにも嘘っぽい
話で、巣鴨の大塚君の家に行くって言ったんだ。(笑)
荒井;そのマネージャーに連れられてステージの前に有名な「ピーナッツ」とい
うホールに行ったのを覚えている。当時はゴールデン・カップスがまだ「ゴール
デン・カップ」で演奏していた頃だよ。
宮本;とにかく高校の3年間はビートルズに明け暮れたね。横浜事件で親から解
散を命じられて、そろそろ真面目に受験勉強をしなくちゃと思っていた矢先の
12月に、またもやダンパの話が来たんだ。
山田;そう淀橋の卓球場。
宮本;それで、結局何ヵ月ぶりかでバンドをやることになって、どうせやるなら
1曲位は新曲をやろうという事になって、当時まだレコードが発売されていない
「ハロー・グッドバイ」をラジオから録音して、演奏したんだよね。
山田;これが大きな間違いで、演奏はメロメロ。途中でやめちゃった。(笑)
宮本;この卓球場でのダンパで一緒にやったのが、山形が組んでいた石神井高校
のバンドだったんだよね。
山形;あの時に初めてジョイントしたんだけど、僕の記憶では僕とリード・ギタ
ーの二人だけだったと思う。当時、僕はベースをやっていて、あの時はジョージ
の「ロール・オーバー・ベートーベン」を演奏したんだ。リード・ギターの彼が
2コーラス目から延々とアドリブをやるんで、ベースを弾きながら、「もう、そ
ろそろ歌に戻せ」って言ったら、「今さら戻せない」って言うんで、アドリブの
まま終ったのを覚えている。(笑) あの曲は僕達のバンドのおはこでさ。高校
の文化祭でもやったんだ。
荒井;あの時、ダンパに来た女の子のコートが盗まれるって事件もあったよね。
山形;それから音がうるさいって近所から苦情が出たらしく、警察が来たよね。
そこにいるのは全員高校生。卓球場の中は煙草の煙モクモクでね、あの時はドキ
ドキしたな。
荒井;僕は中大付属高校だったんだけど、先生にバンドをやっているのがバレて
いたから、睨まれてね。それでも中大に行けたのは、ロックアウトで入試が流れ
て、高校の内申書の成績だけの選考になったんで、運よく入れた。
山田;確か、1年間で8回しか大学に行かなかったんじゃなかったっけ?
荒井;あの頃はアルバイトに燃えてたからね。(笑)
−ところで再結成のきっかけは?
宮本;4人の付き合いは高校卒業後も、細々だけど続いていたんだ。特にお互い
社会人になって、また付き合い始めるようになって、当時から荒井は「またバン
ドをやろう」って言ってたけど、再結成する気持ちになれなかった。中途半端で
はやりたくなかったし、第一、ドラムを叩く奴がいないという事もあった。とこ
ろがある時、荒井の経営していたプール・バーが閉店する事になって、そのフェ
アウェル・パーティーでビートルズを歌う事になった。荒井と山田と僕と3人で、
久しぶりにカラオケで数曲歌ったんだ。もう一つのきっかけは、つまりバンドと
いうのは、はっきり言うと道楽なんだよ。バンドでメシ食える訳じゃないから、
道楽が出来る状況にならないと無理だと思っていた。そのタイミングを計ってい
たんだ。そういう意味では再結成のタイミングがあったと思う。
山形;経済的な事とか、家庭的な事とか、仕事の事とかね。
荒井;もう一つは去年の10月にやった、クリスティーの10周年パーティーで
しょ。
宮本;そう、アトラクションで数曲、演奏する事になって。どうせやるならカラ
オケではなく、生演奏でやろうという事になって。そこで山形が初めてドラムを
叩いた。
山形;そこでドラマーのお墨付をもらった。
宮本;それから、もっと大事なことは精神的な事。つまり、みんなバカだったん
だよ。今でもみんな学生の気分を引きずっている。例えば、25年前にバンドを
組んでいた人は大勢いると思うけど、23年後にバンドを再結成出来るのは果た
して、どれだけいるんだろうか。やっぱり精神的な若さをお互いに持っていられ
たのが一番じゃないかと思う。
荒井;4人全員が持ち続けていたというのが凄いんじゃない?
山形;4人が同じテンションを持っていたんだよね。
荒井;みんなやりたい気持ちはあると思うよ。でも、現実には出来ないんだよ。
−話は変わりますが、ビートルズによってどのような影響を受けましたか?
山田;物の見方が変わったね。彼等の発想は実にシャープなんだよ。
山形;もしビートルズを知らなかったら、多分、人生が変わっていたと思う。お
そらく今の職業のデザイナーはやっていなかったと思う。
山田;電機メーカーの宣伝部なんかに行ってたんじゃないの? 僕は多分、板橋
区役所かな。
山形;嘘つけ、お前がそんな所、行ける訳ないだろ。(笑) この歳になって音
楽に携わっていられるというのは、趣味として自慢になるよ。
荒井;自分の本質的な部分を開いてくれたのがビートルズだったと思う。それま
では荒井君っていえば、イメージとして真面目だったんだよね。バンドっていう
のは、そこには本質はないんだけど、付属する、女とか酒とか煙草とか、その他
諸々のものがあるでしょ。そういうものを知るきっかけになったんだ。で、未だ
にその延長線上にあって、人は何と思うか知らないけど、自分なりにHIPな生き
方をしていると思う。
山形;まだまだ、治りそうもないね。
荒井;治らないというか、これが本質だから。もし、ビートルズと出会わなかっ
たら、銀行員になっていたかも知れない。そして、自分の本質を知らずに、ずっ
と生きていくのかも知れない。
宮本;僕の場合は大学でもバンドを組んで、卒業後は音楽出版社に入社して、最
後に「ビートルズ’86」という楽譜集を出して辞めたんだけど、そういう仕事
上の事以外に「何が本物か」という事を見抜く力を養えた事だね。今の仕事にも
役立っているんだけど、何か新しい事を始める時に、何がベストなのかを容易に
見分けられる。
荒井;マサが言う「本物」というのは、今の文化、ファッションやその他も含め
てみんな彼等が作ったんだもの。彼等が作った延長線上にあるから、容易に理解
出来るという事だと思う。
宮本;これから何か新しいものが現われて来ても、瞬時に「あ、これは本物だな、
これは嘘っぽいな」って判る気がする。例えば、今、ラップが流行っているけど、
リズムだけを抽出したような音楽が、実は一番リズミカルじゃない。よっぽどビ
ートルズの方がリズミカルだと思う。
山田;ラップは吉本興業でも出来る訳よ。(笑)
山形;ビートルズはロックという枠では括れない。
宮本;例えば、ラップのルーツもあるし、レゲエのルーツもあるでしょ。
荒井;「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」ね。
宮本;「イエスタデイ」はクラシックだし。
山田;僕等は伝導師です。(笑)
−それでは最後に今後の抱負を聞かせて下さい。
山田;生涯、夢見て行きたいね。とにかく去年の10月から第二の青春が始まっ
たから、今度は純粋な青春を生きたいね。
荒井;女、抜きでね。(笑)
山形;割と今の状態に満足しているんだ。だから、この先、これ以上望む事はな
いみたい。ドラム始めて1年しか経ってないから、どんな曲をやっても楽しいよ。
この状態を出来れば長く続けたいね。
荒井;このバンドは誰か一人欠ければ、続けられないバンドだと思うから、お互
いに長生きしたいね。それから、20代の頃のビートルズを再現出来る訳ないか
ら、歳を考えずにこれからもやればいいと思う。
宮本;とにかく今は1月13日の原宿KEYSTONE KORNERに全力を上げている。
ここは全米NO.1と称されたサンフランシスコの名門ジャズ・クラブがそっくり
そのまま移って来たもので、雰囲気はアダルトな感じで最高なんだ。僕達にとっ
てはリバプールのキャヴァン・クラブだと思っている。懐かしい曲をたくさん演
奏するので、是非、見に来て下さい。
(追伸)
「生涯、夢見て行きたい」と言っていた山田よ、
天国で僕達の活動を見守っていて欲しい!!
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